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百年にわたる繁栄を極めた戦国城下町。その背後に高くそびえる知る人ぞ知る山城
一乗谷城【福井県福井市】

一乗谷城宿直(とのい)跡からの眺め

文と写真=川越光洋(福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館)

プロフィール

川越 光洋(かわごし みつひろ)

1969年福井県大野市生まれ。福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館総括文化財調査員。福井県立博物館、福井県教育庁埋蔵文化財センターを経て2006年から資料館で発掘・調査研究・資料展示に携わる。

※本文は2011年春発行の「自然人」第28号に掲載された内容をベースに一部改訂しています。

目覚めた戦国の城下町。特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡

福井県福井市の東部に「一乗谷」といわれる地区があります。ここには全国的にも知られる戦国時代の遺跡、「特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡」が存在します。なぜこの一乗谷が遺跡の国宝といわれる特別史跡に指定されているか、ご存じでしょうか。

この一乗谷には山城跡、城戸(きど)跡、館跡、武家屋敷跡、寺院跡、さらに、諏訪館跡庭園はじめ戦国時代の遺構がよく残存していることは古くから広く知られていました。そのような一乗谷に本格的な発掘調査のメスが入ったのは昭和42(1967)年、現在は特別名勝に指定されている湯殿(ゆどの)跡・諏訪館跡・南陽寺跡の庭石の一部が露出していた庭園跡からでした。昭和46(1971)年には城戸の内側が農業構造改善事業の対象となった際に、地元土地所有の方々の史跡保存への理解により、山城を含む全域278haが特別史跡として保存されることとなりました。

発掘調査開始当初、戦国時代の武将たちの本拠地の様相は「町」より「村」に近いものであり「戦国村一乗谷」であろうと一般的に考えられていました。ところが、半世紀にわたる発掘調査の結果、館や武家屋敷、寺院、その生活を支えた商人や職人たちの家(町屋)など「城下町」が、そっくり地面の下に埋もれていたのです。

ゆえに「実像のみえる戦国期の城下町」といわれ、戦国城下町の都市像全体がわかる貴重な遺跡であるということで特別史跡の指定をうけています。遺跡では、戦国時代に存在した道の上を歩き、町屋や武家屋敷の規模も実感することができます。町並立体復原地区などは、武士や商人が出てきそうな風景をかもしだしています。


一乗谷朝倉氏遺跡全景

町並立体復原地区

朝倉館跡の唐門と桜

まだまだ足を延ばす人は少ない山城跡

越前の戦国大名朝倉氏が一乗谷へ本拠を移したのは文明3(1471)年のことで、初代孝景(たかかげ)から五代義景(よしかげ)にわたって約百年間、この地で繁栄を極めました。天正元(1573)年、織田信長勢による戦火をうけて、三日三晩燃え続けて滅び、一乗谷は廃墟となりました。

その一乗谷には、防御の面で重要な位置を占める山城の遺構が残っています。その最たる山城が朝倉館の背後に位置する通称「一乗谷城」です。この一乗谷城への登り道は、平成16(2004)年の福井豪雨の災害で朝倉館の背後、初代孝景の墓「英林塚(えいりんづか)」から山城に直結するルートが使用できなくなりましたが、現在はその他に三つのルートが存在します。

(追記:2020年7月現在、「英林塚ルート」を再開する準備を進めており、2020年中の開通を予定しております)
(2020年9月追記:2020年10月より、「英林塚ルート」が復活し、通行できるようになります)

まず一つ目は、山の中腹部に屋敷群を構えていたと考えられる「馬出(うまだし)」から登るルートで、尾根上に造られた砦「小城(こじろ)」や「小見放城(こみはなちじょう)」の裾部を通り、千畳敷に到達します。途中、安山岩に線刻された地蔵菩薩「摩崖仏(まがいぶつ)」や千畳敷に至る直前には、石製の不動明王が座り、戦国時代の水源地だったと伝えられる湧水地「不動清水(ふどうしょうず)」を見ることができます。急峻な山道ではありますが麓から約1時間で千畳敷に到達します。

二つ目のルートは、下城戸(しもきど)の北に位置する安波賀(あばか)の集落から尾根筋を登るルートです。戦国時代の登城道であったのかは不明ですが、比較的緩やかな登山道なので利用者は多いです。森林や時々望める下界の風景を楽しみながら、約1時間30分で千畳敷に到着します。

最後は近年、駐車場や登山道の整備がされたルートです。一乗谷の東隣りの「三万谷(さんまんだに)」の林道を車で山城麓の整備された駐車場まで行き、駐車場から約30分の登山で千畳敷に到着します。

いずれのルートもそれぞれ良さがあり、四季折々の草花や風景が楽しめます。また、千畳敷付近の宿直(とのい)跡からの福井平野、三国港、日本海までの眺望を堪能していただきたいと思います。この眺望により、周囲の山城を見渡せる一乗谷城の立地が理解できます。

摩崖仏

カタクリの花(一乗谷城は春先にカタクリが群生します)

宿直跡

発掘調査はされていないが、山城の地形を良く残す

江戸時代に描かれた「一乗谷古絵図」(福井市安波賀町春日神社蔵)の一乗谷城には「山頂御殿群」とも呼称される千畳敷、観音屋敷、月見櫓、不動清水などの方形区画群や、一の丸、二の丸、三の丸と名前の付けられた防御するための連続曲輪群を見ることができます。現況でもそれらに相当する区画を確認することができ、発掘調査は全く実施されていませんが、山城の地形を良好に残しています。

千畳敷は山頂御殿群の一画で、山の斜面を削りこんで、平坦面を拡幅造成しています。地表には大きな礎石を確認することができます。隣接して、土塁に囲まれた観音屋敷跡や赤淵(あかぶち)神社跡が存在します。この方形区画群は尾根を利用した土塁に囲まれ、南に月見櫓跡、北に櫓跡を配置しています。特に櫓跡の外側には等高線に対して直角方向に掘る畝状竪堀を連続して設け、敵軍の横移動をも困難にした強固に防御された空間といえます。一乗谷城の畝状竪堀は山城東側に多く施され、全体で約140条を数えます。他の山城と比較しても、非常に多いことが特徴です。

一の丸、二の丸、三の丸と呼称される連続曲輪群は、千畳敷など方形区画群の東方に延びる尾根上に配置されています。それぞれの曲輪の間は、堀切によって独立性をもたせています。なかでも二の丸は巨大な堀切によって区画されています。三の丸は一乗谷城の最高部で、標高約475mです。

一乗谷城への登山口は、少しわかりにくいかもしれません。そこで遺跡の散策前に、まず資料館に立ち寄ることをお勧めします。JR一乗谷駅の近くであり、遺跡の入口にある資料館では、遺跡の説明はもちろん、発掘調査から出土した資料を展示し、戦国時代の暮らしや文化などを解説しています。ぜひ遺跡散策と合わせてお越しください。


一乗谷城の縄張り図(一乗谷城『福井県の中・近世城館跡』1987, 福井県教育委員会)

アプローチ


写真提供 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館まで北陸自動車道福井ICから車約8分。または、JR越美北線一乗谷駅下車徒歩3分。一乗谷城へは本文を参照。

お問い合わせ

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
入館料100円(常設展)
(開館時間9時~17時、不定休〈月1回程度〉)
TEL:0776(41)2301

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