【歴史編】北陸の豊かな食の歴史
北陸の食文化を育てた「道」
北陸地方と呼ばれる福井・石川・富山は、本州日本海側のちょうど真ん中あたりに位置する。
かつて福井・石川・富山はそれぞれ「越前・若狭」「加賀・能登」「越中」と呼ばれ、また越前から新潟までを含めた地域は「越」といわれていた。
北陸地方は、同じ北陸ではあっても地域によって言葉も食文化も多様性を見せるほど横に長く広大である。海に面し、山を背負った北陸地方における食文化の歴史を語る上で、重要なキーワードとなるのは「道」であろう。
北前船によってもたらされた昆布
(京都松前屋の御前昆布)
「海の道」としての役割を担った日本海は、この地域一帯にとって交流の基盤であった。北陸地方が古代より中国や朝鮮半島からの文化の玄関口として栄えたことに始まり、江戸から明治にかけて活躍した北前船は、北は北海道から日本海沿岸各地、西は下関を回り瀬戸内海を抜けて大坂(現・大阪)までを行き来し、物資を運び文化をつないだ。
一方の「山の道」もまた、この地域の交流に大きな役割を果たした。東西に隣接した地域にとどまらず、福井の若狭地方であれば「鯖街道」によって滋賀や京都と、富山であれば「鰤街道」によって岐阜や長野と深いつながりを持っていた。
北陸地方の食文化の歴史は、「道」によって結ばれた他地域との交流の歴史だといってもいいだろう。