紫式部が見た 「越前国府の風景」
長徳2年、心動かされた四季折々の風景
文・写真=栗波敏郎
栗波敏郎(くりなみ・としろう)プロフィール
1952(昭和27)年越前市生まれ。元越前市教育委員会・文化課課長。
作品に影響を与えたとされる北陸の冬の厳しさ
『源氏物語』の作者である紫式部が、越前国守となった父藤原為時(ためとき)とともに越前国府(福井県越前市内)へ下向したのは、996(長徳2)年のことです。琵琶湖を舟で渡り、深坂峠を越え、敦賀を経て、難所である南条山塊を越え、紫式部は国府に到着します。この北陸の地での生活は、四季折々の風景に心動かされるものがあったでしょうが、冬の厳しさと雪の多さは、ことのほか印象に残ったようです。彼女の晩年の自薦歌集である『紫式部集』に、何首もの雪に関する歌を選んでいます。
都から紫式部の夫となる藤原宣孝(のぶたか)の便りが届き、「春には氷は解けるもの、今は閉ざしているあなたの心も、いずれうち解けるものだということを知らせてあげたいものです」とあると、紫式部は、「春なれど 白嶺のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな(春にはなりましたが、こちらの白山の雪はいよいよ積もって、おっしゃるように解けることなんかいつのことやら)」と歌を返しています。
白山は、越の白山として歌枕(歌に詠まれる名所)になっているため、なかには、紫式部は白山を実際には見ていないのではないかと言う人もいます。紫式部が住んでいたであろう国府の館は、越前市の旧武生市街地にあったと言われていますが、よく晴れた冬の昼下がりに大虫地区・王子保(おうしお)地区・北日野地区などを車で走ると、まだ雪を被らない里山の遥か向こうに、真っ白の白山を眺めることができます。紫式部は、越前の厳しい冬のさなか旧武生のどこかで、まちがいなく青空にくっきりと映える霊峰白山を眼にしていたのです。
越前市・武生市街地
武生ICから車約10分。
紫式部公園
0778-22-7459(越前市教育委員会)
武生ICから車約15分。