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【歴史編】北陸の豊かな食の歴史

北前船による交流が生んだ食文化


丸大根と身欠きにしん


昆布巻き

さて、北陸の食文化、特に交流の歴史を語る上で、もっとも大きな影響を及ぼしたものといえばやはり江戸時代から明治にかけて活躍した北前船であろう。

北前船の呼び名は、日本海から下関を回って瀬戸内海に入る北国船を、瀬戸内の人々が称した呼び名といわれている。買積船といって寄港するごとに各地の特産品を売買しながら移動して行くのが特徴である。

近世封建体制が確立すると大名たちは年貢米を換金して生活費や参勤交代の費用捻出を迫られることとなったが、昔からの陸上を行く方法では何度も荷物を積み替えしなければならず、人件費などの費用が非常にかかった。そのため、加賀藩による藩米の大坂直送をきっかけに、海上輸送がさらに盛んになったといわれている。

当初は蝦夷地の領主松前氏と密接な関係を持った近江商人が、松前の毛皮や海産物などを内地の織物や食料などと交換して多大な利益をあげたが、この近江商人の船には越前・加賀・能登の船乗りが多く、彼らの中からやがて自前の船を持つ船主が登場した。その後、豪商といわれるまでに成長した北前船船主の財力は、藩の財政をも支える力を持つようになっていく。

食文化という観点で、北からもたらされたものの代表格は何といっても昆布と鰊であろう。福井・石川・富山の各地には、祭りや正月などのハレの日のご馳走として、身欠き鰊を昆布で巻いた 「昆布巻き」が必ずといっていいほど登場する。他にも、大根と身欠き鰊を麹漬けにした「大根寿し」「にしんのすし」も冬場に欠かせない郷土食として今なお受け継がれている。

歴史を振り返って

こうして北陸の食の歴史を振り返れば、それぞれの食文化の醸成に「道」が欠かせないものであったことがわかる。日本海に沿った北陸では、かつて船により各地をつなぐことで、遠く海外や北国からの産物や文化までを取り入れることができた。またそれらは山の道を通って、山間部に暮らす人々には海の恵みを、中央の都には食だけではなく文物や最新の情報をもたらした。そして、それら交流によって互いにもたらされたものは、それぞれの地で在来のものと結びつき、融合して新たな土着のものとして根をおろしたのである。

現代では流通の発達によって、遠方のものをそのままの姿で手に入れることが可能になり、「産地直送」が当たり前になった。その一方で、「地産地消(土地の産物をその土地で消費する)」の考え方もよく耳にするようになった。だが、食文化の歴史という別の観点から見渡せば、北陸には北陸の食材があり、かの地にはかの地の食材があり、それらが「道」を通じて交流することによってはじめて、それぞれに独自の食文化が培われてきたと考えることもできるだろう。

もちろん現代の北陸にも、誇るべき食文化、郷土料理が脈々と受け継がれている。今、もう一度それらを見直してみれば、そこには先人たちが自在に変化させ、上手に取り入れてきた智恵や工夫の跡がたくさん詰まっているはずである。

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