ホーム > フォトコミュニティ > 高山陣屋

高山陣屋

撮影者
yamatyan(石川県/男性/70代)
撮影場所
岐阜県高山市八軒町1−5 
登録日
2012/09/19
撮影日
2012/09/17
閲覧数
496

削除依頼

写真およびコメントの取り扱いについて

  • 写真およびコメント投稿者以外であっても、自然人ネットの利用規約に反していると思われる写真およびコメントについて、削除依頼をすることができます。削除依頼のお申し出については、削除依頼フォームからのご連絡をお願い致します。
  • 削除依頼のありました写真およびコメントにつきましては、編集部の判断に基づき対処させていただきます。利用規約に反していると判断した場合は、投稿した方の意思にかかわらず写真およびコメントを削除するなどの措置を講じる場合があります。削除措置の判断基準につきましてはお答えしかねますので、ご了承ください。
  • また、繰り返し利用規約違反が行われていることが確認された場合、当該ユーザーには自然人ネットへの投稿禁止の措置をとらせていただくことがあります。
    投稿禁止措置の判断基準につきましても、お答えしかねますのでご了承ください。

ご利用者の皆さまには、再度自然人ネットの利用規約をご確認いただきますようお願い申し上げます。

削除依頼フォームボタンの設置場所

削除依頼フォームボタンの設置場所

高山陣屋(国指定史跡)高山城主金森氏の下屋敷の一つでした。金森氏が上ノ山(山形県)へ移されてからは、徳川幕府の直轄地となり、江戸から代官や郡代がきて、ここに役所をおき飛騨の政治をとりました。
役所を「高山陣屋」とよび、おふれを出したり年貢の取立てなどをしました。直轄地時代は、明治まで25代177年間続きました。クレ葺屋根の門の扉に残るしみは梅村騒動で農民に殺された門番の血痕といわれています。
玄関を入った正面壁には、郡代の格式を示す(青海波)模様があります。内部には、御役所、御用場、大広間、役宅、吟味所、白州などのほか裏手には、高山城三の丸から移した御蔵(米藏)8戸前(藏は戸前とかぞえる)も昔のまま残されています。かつて年貢米を保管した藏で天領時代の歴史を物語る資料が展示されています。大原騒動で打ち首となった本郷村(現在高山市上宝町)の農民善九郎が妻に送った遺言状の文面には胸をうたれます。
明治に入ってからは、県庁、郡役所、支庁、県事務所など代々、地方の役所として使われてきました。郡代役所の建物が残っているのは全国でも高山だけです。

コメント

コメントはありません

ページの先頭へ

自然人Facebook